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月夜の海、朔の森

自分の悩み

自分の悩みだと思っているものの中に
自分のものでないことが、けっこう入り込んでいる。
たとえば、家族のこと、仕事のこと、健康のこと・・・
それは本当に、自分のものか?
と、問いただせば
意外にも、他人のものを横取りして(取り込んで)いる場合が多いものだ。
「ウチの夫(妻)が・・・」
「隣の人にこう言われて・・・」
「体重が減らなくて・・・」
「体がいうことをきかなくて・・・」
「頭痛がひんぱんに・・・」
「胃が弱いんです・・・」
などなどなど。

どれもこれも、自分に関わってくるものだけに
自分の悩みだと思いたくなるのは、尤もなことだ。

しかし
言い方を工夫してみると、どうだろう?
つまり、「認識を変える」ために言い方を変えるという意味なのだが。

「他人の態度や言動によって、こんなにも気持ちが上下する自分って・・・」
これで、いくらかは「(本当の)自分の悩み」の姿が見えてくる。

「世間で健康的(あるいは美しい)とされているものになろうとしている自分と
なかなかそうはなってくれない自分とのギャップに悩んでいる」
と、気が付いて
「世間的な価値観なんてどうでもいいじゃん!・・・って思ってはみても
やっぱり気になってしまう自分って・・・」
と、こうなると、また一歩「(本当の)自分の悩み」に近づくのだと思う。

病気や怪我など、肉体的な痛みを伴う場合については
「自分のもの」ではないことを取り込んで
「自分の悩み」だと勘違いしてしまうことによって生じる亀裂が
切り傷のように心を蝕み、あたかもゴミのように
積もりに積もって、とうとう痛みを発して
気づきを促してくる・・・というふうに考えられることもある。
(病気については、浅いものからかなり深いものまで
幅広い次元階層(領域)が絡んできそうなので
一概には言えないところも多分にあるが。)

痛みの本質が、本来の場所に戻ろうとする力にあるとすれば
そんなことも充分考えられるということだ。


悩みの多い人というのは、「自分のものではない」ことにまで
手を大きく広げて「問題」をかき集めているようなものかもしれない。


他人の問題だから、放っておけという話ではなくて
自分の視線からその悩みを見ると
どう変化して見えるかということが言いたかった。

二通りの解釈があるという言い方では、まだまだ足りない。
その二つの解釈は、全く異なる世界を現しているのだから。





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