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月夜の海、朔の森

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くける

裁縫が好きで、(たいしたものは作らないけれど)
縫うことそのものは苦になりません。
でも、洋裁はそれなりとしても、和裁の方はさっぱりです。

この前、まつりぐけをしようとして
全然思うように縫えず、あきらめて
普通にまつり縫いをしました。

姉は、この「くけ」が普通に(上手に)できるのですよ。
姉が中学生だった頃、学校の家庭科では、女子全員が浴衣を縫ったそうです。
私の時代では、もう浴衣は縫いませんでしたから
和裁用語がよくわからないし、一応知ってはいても使えない状態です。

一ケ月ほど前だったでしょうか。
お針箱の整理をしていて、母を懐かしく思い出しました。
母が使っていた針や糸きり、母が作った針山を
私は今も使っています。
針山は、母が古くなった着物の一部を利用して作っているので
その針山の図柄を見ると、母がその着物を着ていた頃のことを思い出します。
もう半世紀以上も、現役で働いている針箱の住人たち。

ああ、和裁もやっておけばよかったなあと、今しみじみ思います。
着物を着る機会もないし、着物を縫いたいわけではありませんが
「くけ」が普通にできるっていうの、やっぱりいいな。
これは、やり方がわかったというだけでできるものではありませんから。
「慣れるまで縫う」という経験が必須。

「くけ」を知らない方のために、ちょっとだけ説明すると
針が布の中を通って、(針が)見えない状態で縫うのです。
多分、こんな説明では(知らない人には)さっぱりわからないと思いますが(笑)。

「くける」ことに思いをめぐらしていたら、いろんなことに対して
インスピレーションがわいてきて、なかなか面白い。

と、今日はなんだか、一人でほくそ笑んでいます。



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手に入れる

先日、十代の女の子と話す機会がありました。
彼女は現在高校生で、編み物や手芸が好きなのだそうです。
中学の時はエプロンを縫ったよと、嬉しそうに話していました。
聞くと、中学校の家庭科の授業で、全員がエプロンを縫ったらしい。
私の中学時代は、家庭科と言えば「裁縫」!(笑)
当時は男女で分かれて、男子は技術、女子は家庭・・・
というふうに、男女は別々の授業でした。
(高校の時も家庭科は女子だけで、男子は柔道or剣道の選択だった)
そういう事情も少しはあってか、中学の時は
今思えば「よくやったなあ~」と自分を褒めたくなるくらい
けっこう高度な技術の要るものをたくさん縫いました。
例えば、パジャマ(上下)に、スカート、ワンピースなどなどです。
襟とベルト芯、ボタンホールやファスナー付けがめちゃ難しかった記憶があります。
自分のサイズを測って、型紙の補正も自分でするのですが
中学一年生からそんなことをやってたおかげで、ずいぶんと鍛えられました。
当時のミシンは足踏みでね。今のミシンみたいにいろんな機能はついていませんでしたが
それだけに、慣れれば細かい動きも自分で縫っている(機械が縫っているのではなくて)
感覚がありましたね。
教える先生、大変だったでしょうね。
スカート一つとっても、たくさんのバリエーション(タイトからフレアーまで)があったし
今より一クラスの人数も多かったし(女子だけだったから半数だけど)。
でも、楽しかったな~。私は不器用なので、もしも、あの頃「授業」ということで
強制的に縫わされなければ、一生裁縫が苦手だったかもしれません。
担当の先生のことも大好きでしたしね。
そんな話を女の子にすると、
「私も縫いたい~。いっぱい縫いたい~!!」
と、言っていました。
今は、中学校でそんなに縫い物はしないそうです。
他にしなければならないことがたくさんあるのでしょうね(ちょっと皮肉です)。
それに、今は、お店に行けば、たいていの欲しいものは安く手に入れることができますしね。
自分で作る方がよほどお金がかかったりもします。
「かわいい」「きれい」「ステキ」が、町にもネット上にも溢れていますものね。

そこで思うんです。
「手に入れる」って、どういうこと?
結果として自分の手元に残る品物に、自分の行為が入り込んでいる
それが、本当の「手に入れる」ではないのかな・・・。
つまり、その「物」を見たとき、
その「物」を作り上げていく時間も同時に見ているような感覚・・・
その「時間」は、時計で測れる時間ではなく
自分の行為を通して作り上げた「記憶」としての時間・・・

私たちは、物づくりを通して
自分の中に豊かな場所を築き上げているのではないでしょうか。
購買意欲をそそられて、品物をあまりにも安易に手に入れた場合
私たちの中から、そんな豊かな場所が奪われているのかもしれません。

少年・少女時代に、たくさんの種類の手仕事を身につけていくことは
文科省の言う(表面上の)生きる力とか、そんなことより、ずっとずっと深いところで
私たちの内在を支えていくに違いないと、思っています。


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OZAKI君とは誰か

今から30年ほど前のこと
ひょんなきっかけで、私は、とある地方の小さな町の
小中学生向けの詩のコンクールの審査員になったことがありました。

審査員は全員で10名ちょっとだったでしょうか。
その中では私が最も若く、まだ20歳代前半でした。

小さな町とはいえ、応募作品はたくさんありました。
その中で、私が今でも印象に残っているのは
尾崎君(下の名前は覚えていませんし、もし覚えていたとしても、個人情報云々でここに書くことはできません)という、中学一年生の男子生徒が書いた『博物館』というタイトルの詩でした。
その詩から受けた印象があまりに強烈で、私は、その詩をイチオシだったのですが
私の他に、その詩を推す審査員は一人もいなくて、残念ながら落選となりました。

『博物館』という詩に描かれていたのは

   
恐竜の化石、本物さながらの模型の骨
そして、それらを見ているうちに異空間へとスリップする少年(作者)の意識
異空間に広がる景色と、そこで響く音
それにリンクするように、少年の骨がきしむ音   


読んでいる私までが、少年の世界に引きこまれたものでした。
しかし、他の審査員からは「あまり子どもらしくないね。」と一瞥されて
当時、まだ若く、どんなふうにその詩の良さを伝えたらいいのかわからなかった私は
悔しい気持ちとともに、その詩に打たれた感動の思いを、胸の中に密かに隠し持つことになったのです。

それから20年ほどたったある夜、一人の少年が現れて、背中の翅をが見せてくれるという夢を見ました。その少年は、まぎれもなく、あの『博物館』という詩を書いた尾崎少年でした。夢の中で、確信がありました。もちろん、現実の尾崎君とはかけ離れているに違いないのは明白ですが、問題は、私が、その少年を「尾崎君」だと認識したことです。

また、その夢のあと、現実世界で、一匹のセミが我が家で羽化していく一部始終を目にすることになり、私の中の『博物館』はまだ生き続けていたのだということを知りました。

そのときのことは、別ブログ『りとる ふぉれすと』に書いた通りです。
 ↓
「0ZAKI君」りとる ふぉれすと


さて、私にとって、OZAKI君とは、いったい誰なのか?

男性が、少年の時期にだけ持つことを許される、独特の「異空間」に
大人たちをいざなうことのできるものの象徴

大人になる、ほんの少し前に、多くの男性がそこを通過したのではないか?
大人になった女性もまた、少女時代に、
永遠の少年にいざなわれて、一度はそこに足を踏み入れたのではないか?

それを思い出す鍵を、OZAKI君は『博物館』の中に置いていたのです。
大きなガラスケースの片隅に、さりげなく吊り下げられた銀の鍵。
それを、指で指し示している少年こそが、OZAKI君だったようです。




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