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月夜の海、朔の森

ラベンダー

今日は、地区の溝掃除の日で、朝から大勢(一軒に最低一人は参加)で
地区内の溝さらいをした。
ウチのような田んぼの多い田舎では、田植えの前にいっせいに用水路の掃除をするのは
よくあることだろう。
掃除といっても、ゴミ拾いとかではなくて(ゴミはほとんど落ちていない)
溝に生えた雑草ごと「ぬ」や土をさらうのだ。
「ぬ」というのは、ええっと、泥?・・・どぶ状態になった泥?
他の地方では何というのか知らない。

農家でない家からも、地区の行事として参加するから
私のように農業やってない者は、普段使い慣れない角スコなんかを2~3時間も使って作業すると、当然、筋肉痛と筋肉疲労からくる頭痛のたぐいに、後から見舞われること必至。
長靴なんてのも、普段履き慣れていないのに加え、ちょっとばかりサイズも小さめ
(10年以上前に買った時より足が大きくなったらしくて)で、これもけっこう
後から堪える。

そんなわけで、午後に30分ばかり昼寝をしてしまった。
目が覚めると、案の定頭痛がする。
若干日射病くさいところもある。もちろん帽子は被っていたし、水分も充分摂ったけれど
なかなか思うようにはいかない。

そのとき、ふと思いついたのは「ラベンダー」だった。
私はふだん、ラベンダーで化粧水を作って使っている。
ラベンダーには鎮痛作用もそこそこある。
よしよし、今日はラベンダーづくしでいこう
と、思った。

さっそくお湯を沸かしてラベンダーティーを作る。
レモンをカットして、一枚は顔にのっけてパック。(数秒ずつ移動させれば1枚で足りた)
その間にティーができる。
ラベンダーの匂いって、大好きなのよね。
色もね、すごくやさしい色。薄い桃色に近い・・・まあラベンダー色なのだけれど。
そこへレモンをギュっと搾って蜂蜜をたっぷり入れて
飲む。

それから・・・レモン汁のついた顔(笑)を洗って
自家製ラベンダー化粧水をパタパタぬると・・・
おおおっ!頭痛が、頭痛が消えていく~。
何度もおでこにパタパタ。こめかみにパタパタ。
耳の後ろにパタパタ。首の後ろにパタパタ。
そうそう、腕にもパタパタ。脚にもパタパタ。
効く、効く~。

おかげで大事に至らずに済んだ(笑)。

ラベンダーティーの残り(蜂蜜の入っていないの)は、今夜のお風呂に入れて
薬草風呂にする予定。

だいぶ元気を取り戻したので、庭に出て、この前から乾かしていた
ラベンダー、ローズマリーなどなどを取り入れて瓶に詰めた。

これでまた、しばらく化粧水やティー、薬草風呂の材料に困らない。
いざという時にも役に立つ。



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部屋の乱れで心のチェック

「服装の乱れは 心の乱れ」なんて、あんまりいい気持ちのする言葉ではないが
部屋が片付かなくなってくると、精神的にパワーが落ちているサインととって、ほぼ間違いないなあと思う。

子どものころに母がよく言っていたのだけれど
「玄関を美しく飾っていても、台所と便所がきれいでない家の人とは
あんまり深く付き合っちゃいけないよ」

母のこの言葉は、他人に対してよりも、私が自分自身に対して自戒するために反芻することが多い。
全く、その通りというか、精神的に落ち込み始めると、まず部屋の汚さとか散らかりようが
気にならなくなってくる。これは、他の(気になる)ことで頭がいっぱいで、掃除なんかに手が回らないという時期を少し越えて、散らかった状態にすっかり慣れて、それが当たり前になってしまうからだ。

でも、不思議なもので、また心が元気になってくると、だんだん部屋の散らかりようが気になり始める。そして、ある日、「掃除するぞ!」となって、片付け大掃除で体を動かしているうちに
すっかり精神的にも元気を取り戻していく。

家というのは、使ってなんぼ。汚れることや散らかることを怖れていては楽しく住めない。
だからこそ、マメに片付け、毎日掃除をするのが一番。
そして、そうできているかどうかが、自分自身の心の元気度のバロメーターになっている。




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井戸と三味線

一年以上前の話だが
姉が電話で、こんなことを言った。
「井戸が見えるねん。」
井戸?・・・と、私。
「うん、古い井戸でな、底をのぞいてみても真っ暗で何も見えへん。」
昔住んでた家の近くにあった、あの井戸かな?・・・と、私。
「ようわかれへん。はっきり見えるのに、それがどこやら思い出されへんの。」

それから何度か、電話で井戸の話をしたが、特に進展はなかった。

数ヶ月経ってから、私はある人に一冊の本を手渡された。
どうしても貸したいのだと言って、その人は私の手に本を持たせてくれた。
全く突然で、何の脈絡もなく渡された本だった。
次はいつ会えるかわからないし、すぐには返せないと思うからと一度は断ったのだが
「なんだかわからないけど、これを貸したいの。」
と、その人は言った。

家に帰って、その本を開いて驚いた。
最初の方、ほんの数ページ読んだところで、井戸の絵が出てきたのだ。
それは、姉が言っていた井戸ではないのか?
私は、姉の井戸のことなど、誰にも話したことはないはずだ。
本を貸してくれた人も、そんなことを知って貸してくれたわけではない。
「なんだかわからないけど」と、言っていたではないか。

私が、姉の電話からイメージしていた井戸は、コンクリートの四角い枠で囲われたもので
私も小さい頃に、そこで遊んだ記憶があり、姉が話していた井戸はそれだろうと勝手にイメージしていたのだ。
ところが、本に描かれていた井戸は、違った。
石を丸く積み上げて、中には、底へと真っ直ぐ降りていく縄の梯子がかかっている。

さっそく姉に電話をして聞いてみた。
「そう、それ!」
やはり、私が知っている井戸とは違うものだったのだ。
姉は、しばらく考えてから、思いついたように言った。
「思い出したわ。小さい頃なあ、ミミばあ(母方の祖母)の家に住んでた頃、
裏庭に井戸があったんや。」
私は、その井戸には全く覚えがない。
「そりゃそうやわ。如月が生まれる前に、蓋してしもたから。
裏木戸の横手に、草がぼうぼうに生えてあったの、覚えてるか?
あそこに井戸があったんや。石で丸く囲った井戸でな。縄の梯子が降りてた。」

その井戸で間違いなさそうだった。
で、それがどういう意味を持つのかは、まだ何もわからなかった。

「今度井戸が見えたら、縄梯子で下に降りてみるわ。」
姉はそう言った。

何日か経って、姉から電話があった。

「あのなあ、三味線習おうと思うねん。」
いやあ、唐突やわ!
「それが、唐突でもないねん。子どものころから高田浩吉好きやったやろ。
あれは三味線が好きやったんやわ。ずっと三味線弾きたいと思いながら
この歳になってしもたけど、まだ今からでもやれるかなあ思てな。」

井戸の中には三味線があったのか?

「そうと言えばそうやし、違うと言えば違う。」
井戸の中には、たくさんの記憶がつまっていたらしい。
姉自身の記憶だけでなく、なんか、こう、家系的な意味でも・・・。

この話は、あまり深入りしても、個人的になり過ぎてツマらないと思うので
このくらいで終わるが、今日このことを思い出したのは
一年ぶりに、その本を貸してくれた人に会う日が近づいてきたからだ。
彼女には、私自身も色々と驚かされることが多く、とてもいい意味で刺激になる。
今度会うのが楽しみだ。




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