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月夜の海、朔の森

逆位置

カードが 逆位置で 出たとき
「警告」の意味で読み取るのは よくあることだ

カードを通じて 内側から送られてくるメッセージなのだから
そう解釈しても 特に問題は ないだろう・・・と、思っていた

しかし、私の中で「ちょっと違うよ」という声がした
「それじゃあ、怖れを先手にもってしまうでしょ」
こんなニュアンスだった

なるほど
今まで、タロットや その他 占いの手法のカードを使うとき
ついつい 解説書に頼ることも多く、
なによりも 私自身の解釈が 一般的、通俗的な刷り込みによって
自分の感じ方を 忘れる方向に 流されていた

カードの逆位置は、言い換えれば
自分の中の情動を 汲み上げていないことへの サイン

ウニヒピリの 逆襲
スピリット アニマルの 暴走・・・の前ぶれ
と言えなくもないが

そう言ってしまうと
「抑えつけてはいけない
かと言って、怖れてもいけない
制御せよ、コントロールするのだ」
そんなふうに 自分と対立するものとして、自分の内部を分裂させてしまう

気づかないうちは 
逆襲、暴走としか言いようのない現象も
ひとたび、それは自分の声なのだと 気づいたなら
逆襲でも暴走でも 警告でもなく
私が 私自身にしか 向けることのできない「親愛」の表現であったことが
了解された

これが
アニマル メディスンから 教えられた 最初のレッスンだった

逆位置は、等化を促すための 負荷に 似ていた



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内なる動物たち

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛しています」
これら 四つの言葉は、ホ・オポノポノの基本のクリーニングツール

内なる子ども、ウニヒピリにかける言葉
決して、現実世界の特定の 誰かに向ける 言葉ではない

それは、解説本に 何度も何度も 繰り返し書かれているから、知っていた
だけど
どれだけ鮮明にウニヒピリをイメージできたとしても
そこに、(日頃のクセで)「対象」が入り込むと
内在なのに 外在として扱う意識が 働き始める


こんなことを 言う人もいる
「ごめんなさい」や「許してください」という言葉は
無意識に罪悪感を刷り込んでしまうんじゃないか?
と・・・

しかし、そんな心配をしてしまう人は、多分
自分のウニヒピリを知らないのだ

ウニヒピリは 内なる子どもと呼ばれるが
それは言い換えれば、内なる動物霊、動物意識のことでもあるだろう

わたしたち人間は、すべからく 動物意識を持って生きている
人間が人になってゆく道筋で 濃密な関係を持つ 動物たち


私は、彼らと ともに生きてきたのだ
彼らは、ずっと私とともに いたのだ


不吉なものに感じて 払いのけたり
嫌悪の対象として 忌み嫌ったり
面倒なヤツだと 遠ざけたり
都合のいいものとだけ 仲良くしようとしたり
なんという無知、なんという傲慢

そこに気づいたとき
私は、深く深く 彼らに頭を下げずには いられなかった
「ごめんなさい」という気持ちは、こういうこと
「許してください」という気持ちは、こういうこと

強制されて言う言葉でないのは もちろんのこと
たとえ自発的だったとしても、
「謝らないといけない」という社会的、道徳的な一面が隠れているうちは
言葉は、自分の内部に響かないのだ と 思う


動物たちとの和解の旅を 始めようと 思った
それは、過去に向けて・・・とも言えるし
同時に、未来に向けて・・・とも言える

過去の書き直しや上書きなどではない、過去の創造が
即ち 未来を創造する 地点
それこそが、「今」




先日(5月1日と2日)に、アニマンダラの天海さんのセッションを受けました。
素晴らしいセッションでした。
濃密で、面白く、楽しく、あっという間に時間が過ぎ去り
終わってからの解放感はすさまじいものでした。
解放感と言っても、スッキリとかスカッとした感じではなくて
底が抜けたというか、天井が開いたというか、枠が外れたみたいな
もやもやが一気に噴き出す感じです。
出てきたモヤモヤは、しばらくモヤモヤのまま漂っていたのですが
少しずつ少しずつ形を取り始めています。
(これは、まだまだ長い時間をかけて気づきを得ていくことになるのだろうなあ
という予感はあります。)


そんな中の一つを、今日は書いてみました。

天海さん、高千穂創研のyukiさん
お世話になりました。
ボキャブラリーが貧困ですが、ホントッ!すごかったです!
ありがとうございました。


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迎ふる気(変化を待ち受けている生気)

  『徒然草』第百五十五段より  

「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず」
  そうだよね、そうだよね
  僕もそうじゃないかなって思ってたよ
 
「春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋は通ひ・・・」
  その通りだと思うよ
  嬉しくなるなあ
  人工の建築物じゃあるまいし、
  一旦壊して更地にしなくちゃ次のが建てられないなんて・・・
  自然は、そんな不連続な時を刻まないんだ

 「木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、
 下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり」
  ほらね、僕の歯だって、そうだったよ
  乳歯は、下から大人の歯が押し上げてきて抜けたもの

   リレーのバトンタッチとは、順序が逆なんだ
  次の走者が待っているところまで、懸命に走っていく
  そんなイメージは
  多分、自然の営みには似合わない
  時は、未来の方からやって来る

  過去から未来に向けて、僕らは一瞬一瞬を生きてきたように見えたけど
  どうやら違う
  僕らは、この身で未来から来た時を受け止め
  今という瞬間の中に
  すべての記憶を保持してきたんだ
  この一瞬が、ほんの小さな点のような“今”こそが
  僕の生の全てを包む込む、魂そのものかもしれないね

 「迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついで甚だ速し」
  大きな変化の前の
  数々のサインの連続は
  未来からやってきているに違いない
  それはもう、すでに下に設けられているんだね

  時計やカレンダーが刻む時間の中に閉じ込められているから
  未来というのも、今の次にくるものというイメージを捨てられないかもしれけどさ
  植物に代表される「自然」の時の流れを感じてみよう
  植物たちの変化の姿が現す 四季としての一年は
  太陽を中心に公転する地球の回転の意味を持つ
2013/5/25 
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