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月夜の海、朔の森

「そ」

うちの地方では、私がまだ幼かった頃、人に何か物を差し出すとき
「そ」という言葉を添えた。

「どうぞ」ぐらいの意味合いなのだが
近しい間柄なら、さしずめ「はい」ぐらいの感じかもしれない。

関西では、一音の言葉はたいてい母音部分を伸ばして発音することが多いが
(例えば、目は「めえ」、木は「きい」という風に)
この「そ」は、あくまで「そ」であり、「そお」ではない。

顔の汗を手でぬぐっている人に、「そ」と言いながら手ぬぐい(タオル)を差し出す・・・
喉が渇いていそうな人に、「そ」と言いながらお茶を注いだ湯のみを差し出す・・・
そんなシチュエーションが、「そ」にはよく似合う。

今では、もう「そ」を使う人も少なくなって
お年寄りと話をしない限り、耳にすることもない。
若い人たちは、そんな言葉を知りもしないだろう。

まるで動植物の絶滅危惧種のように、保護したり保存したりするのは
この場合、ちょっと違うようにも思うが
廃れて消えていく言葉があるなら、その言葉の裏側というか内側というか
その言葉が持つ時代を含めた人間の生活空間が、一つ消えていくということなのかもしれない。

「そ」が消えていくとき、相手を思いやって差し出す行為の中の
在る部分(それは西洋的な、あるいは現代的な親切ではなくて)、
どちらかというと日本的、それも関西の田舎の土着の精神の一部、
飾らない粗野のままの親切心が細く薄くなっていくことを意味するのだろうか。

他人に親切にするとき、どこかしら恥ずかしいような、照れるような気持ちを持つとすれば
「そ」が消えていくことと、何かしら関係があるかもしれない・・などと思う。



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