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月夜の海、朔の森

古事記序文の中の気になっていたこと

前々から、古事記の序文で気にかかることがあり
ちゃんと読み返そうと思いつつ数年経ってしまっていた。
今日はふと、そのことを思い出し、古事記を本棚から抜き出して
パラパラとめくってみた。
若干、私の記憶違いもあって、気にかかっていたはずの箇所を見つけるのに
少し手間取ったが、全くの記憶違いというわけでもなく
私の記憶とは少しニュアンスは違ったものの
だいたいの「気にかかっていた箇所」を見つけたので、
今日はそのことについて書いておきたいと思う。

太安万侶は、古事記を書くに当たって、まず序文を記している。
(その文章からは、太安万侶の人柄が偲ばれるような思いがする。
おそらく彼は、非常に賢く、とびきり実直な男だったのではないかと。
まあ、そこは今から述べる内容とは無関係。)

古事記と言えば、読んだことのない人でも、その書き出しぐらいは聞いたことがあると思う。
「天地(アメツチ)初めて発(ヒラ)くる時に、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。」
こういう出だしだ。

しかし、その前に太安万侶は、(それなりに長い)序文を書いていて
なぜ、今このようなことを自分が書くのかについて、かなり詳しく述べている。
そして、私がひっかかりを覚えていた箇所というのは、次のような形で序文の終わり近くに出てくる。

(天皇に「稗田阿礼が誦んだ旧辞を撰び記録して献上せよ」と言われたことに対して
謹んで詔の旨に添うよう、細部にまで注意して正しく書こうと思うが・・・
として、次のように続く)
「然れども、上古(イニシエ)の時、言(コト)と意(ココロ)と並朴(ミナスナオ)にして、
文(フミ)を敷き句(コトバ)を構ふること、字には難し。已(スデ)に訓(ヨミ)に
因(ヨ)り述ぶれば、詞(コトバ)は心に逮(オヨバ)ず。全く音(コエ)を以ち連ぬれば、事の趣(オモブキ)更に長し。」

要するに、奈良時代が当時の現代だとして、その奈良時代と比べて、上古(いにしえ)の時代の言葉(どれくらい昔になるのか定かでない)は、言葉も意味も共に素直な国語であったから、それを今(奈良時代)の言葉に直して漢字で表記することは難しいし、すべてを訓みの字で現すと言葉の意味が充分に通じない。また、すべてを字音仮名で表記すると長くなり過ぎる(これもまた意味が充分に通じない)。

と、述べているのだ。

だから、あるときには一句の中に、音字と訓字を交えたり、あるときには一つの事柄をすべて訓字で記したり、文中の言葉や意味のわかりにくいところは注釈をつけて明らかにした・・・と言うのだ。

つまり、古事記で語る内容は、奈良時代にはもうすでに『いにしえ』のことであり、そこで使用されている言葉は、奈良時代(でさえ)では表現の難しいような『いにしえ』の言葉となっているのだ。
「言(コト)と意(ココロ)と並朴(ミナスナオ)にして」
いったい、どのような言葉だったのだろうか、想像もつかない。

ここが、私がずっと前にひっかかっていた箇所なのである。
古事記は、太安万侶が、並々ならぬ工夫、努力をしてあのような文章に仕上げたのだろう。

古事記の全文にざっと目を通すと、平安時代やそれ以降の古文に比べて、格段に読みやすいと感じる。その理由は、漢語がないということ、そして最大の理由は、助動詞の種類が少ないということだ。
(平安時代の古文でさえ読みにくいのに奈良時代なんて尚更・・と思う人は、一度古事記を読まれるとわかると思う。漢字かな混じりで、ふり仮名を適切に施してくれさえしていたら、本当に読みやすいこと請け合いだ。)

助動詞の種類と敬語が一気に増えて、文体も複雑になるのは平安以降のことだ。
(そこへ鎌倉や室町の時代には漢語がどんどん日本語に取り込まれていき、
私にはもはや辞書がなければワケワカラン状態になっていく)

と、話がそれたが、奈良時代の人でさえ「いにしえ」の言葉(言と意)は素直だったと言う、
そんな「いにしえ」の言葉の片鱗が、今もこの現代の日本語に残っているとしたなら
それは、言葉という形の奥底に隠れている構造か、外に現れた音そのものの中だろうか・・・
と、思ってみたりする。

古事記でよく見かける助動詞は、やはり「き」「り」「す」「む」「つ」「ぬ」だったということも、付け加えておく。(krsm四面体に関わる事柄)




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