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月夜の海、朔の森

変格活用の動詞とkrsm四面体

日本語の動詞は、動詞それ自体が活用することで過去形を現すことはない。
だから、活用するとはいっても、英語のような活用(過去や過去分詞、現在分詞)を思い浮かべると混乱するだろう。
日本語の場合は、膠着語の特徴として、下に次々と助動詞や助詞、名詞などをくっつけていくため
そのくっつける法則が存在していて、それが用言の活用形となっている。

おなじみの「未然・連用・終止・連体・已然・命令」の六つの形である。
(口語では「已然形」は消えて「仮定形」となるが、この二つは同型ながら、まるで別物なので注意が必要)

品詞の中で活用するのは、「動詞(補助動詞含む)」「形容詞」「形容動詞」の三つの用言と、助動詞である。

「ぬ」「つ」(「なり」「たり」の出現)のところで書かなかったことを、少しだけ補足しておくと・・・
「形容動詞」というのは、状態を現す名詞に「なり」「たり」がついたと見なしても、大きな差支えはないと私(個人的に)は思っている。
(「~に」「~と」という活用が不自然かどうかで見分けると良いのだが、本質的なところに向かう話の中では、そこの部分(品詞分け)はあまり重要ではないと考えている。)
例・・・「さやかなり」→「さやか」+「なり」
    「朗々たり」→「朗々」+「たり」

また、「形容詞」については、これまでほとんど言及していないが、krsm四面体の「s(し)」が形容領域であるというあたりを押さえておく。

そして、いよいよ「動詞」の活用について書いていくことにする。
(ああ、いつもながら前置きの長いことよ)

動詞の活用の種類には、
「四段活用」「上二段活用」「上一段活用」「下二段活用」「下一段活用」という
一定の規則性を持って活用するグループと
それらグループからはみ出す「変格活用」(4種類)がある。
「カ行変格活用」「ラ行変格活用」「サ行変格活用」「ナ行変格活用」の4種類である。
  
 *現代語で変格活用が残っているのは「カ変」と「サ変」のみで、他は五段活用へと移行した。

  現代語では「四段」は「五段」へと形を変え、
  「上二」「下二」は無くなり、それぞれ「上一」「下一」あるいは「五段」へと変遷していき、
  「上一」「下一」も形を変えて(五段になったものもある)今に至る。



私には、(これもまた非常に個人的にだが)変格活用の動詞が、数ある動詞の中で特に重要な動詞だったのではないかと思えて仕方がない。

一つずつ見てみると
「カ変」・・・来
「ラ変」・・・あり(をり・はべり・いますかり・いまそがり)
「サ変」・・・す(複合動詞を多数含む)
「ナ変」・・・死ぬ・去(往)ぬ

ほらほら・・・あの、krsm四面体の「k」「r」「s」がそのまんま・・・
四面体の外側を周回する助動詞「ぬ」が、「ナ変」に相当するかもしれない。
「ナ変」=「死ぬ・去ぬ」については、
「ぬ」という音に、何か元になる本質的な意味があり
それが、助動詞「ぬ」を生み、また動詞「死ぬ・去ぬ」を生んだものと思われる。
「ぬ」には、本質的に何か共通する意味合いがあるということだろう。
(現代語では、「死ぬ」は五段活用の一般的な動詞になったし(格下げか?)
「去ぬ」は、もはや死語になりつつある。)

助動詞として、大事な骨格となる「k・r・s・m」のうちの三つ(「k」「r」「s」)が
動詞では、変格活用という特殊な活用をする三種類と重なるのは
単なる偶然ではないと思う。

そうなると、残りの「m」の存在が気になってくる。
「m」は、助動詞では「む」である。
一人称では「意志」を表し、二人称では「勧誘・適当」、三人称では「推量」を主に表し
他にも「仮定」や「婉曲」の機能も持つ、あの「む」である。

これに相当する変格活用の動詞はない。となれば
「m」の本質は、動詞にはなりにくい性質のものと考えられる。

  *「k」も「r」も「s」も、本質的な何か(仮にX・Y・Zとしておく)が、元にあり、
   そこから動詞や助動詞が派生(出現)するとみている。


もちろん、「む」が関係する動詞はたくさんあるし、大事な(気がする)ものもあるには、ある。例えば「む(生)す」なんかは非常に本質を含んでいそうな気がするが、あくまで語幹が「む」であり、語尾に「む」がくる動詞は逆にたくさんあり過ぎて、特殊な感じがしない。

まだまだ、確信めいたことが思いつかないままだが
「m」を三角錐の上の頂点に置き、そこから下の三角形に線を下ろすようなイメージはどうだろうか。そのとき、三本の線は足のように見えなくもない。(足は動詞のたとえ)
ちょっとムリがあるな。自分で言ってて変だと思う。

ここら辺になると、カタカムナとか、言霊、音霊の世界が大きく関わるだろうから
私には全くわからない世界になる。
しかし、文法を入り口として、そういう世界に踏み入っていくこともアリかもしれないと思っている。

まとまりがない文章だが、今日はこのあたりまでとしよう。


    
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