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月夜の海、朔の森

ゆとり、あそび、余分

「ゆとり」という言葉が 
なんだか勘違いされて使われるようになって久しい
「ゆとり教育」なんて、イヤな言葉だな

たとえば 自動車のハンドルに
「あそび」というのが、本来なくてはならないものだというのと同様に
「ゆとり」も 生活に なくてはならないものだ
むしろ それは、生み出していくものだ
与えられるものでは 決してない

「ゆとり」「あそび」を 「余分」と勘違いし
効率を求めるために 徹底的に排除しようとしてみたり
逆に
必要な「ゆとり」「あそび」のつもりで
「余分」に買い占めたり、「余分」に体を甘やかせたり

ああ
人間は 体内に「エネルギー」を蓄積するシステムが 標準装備
それが 体外にまで広がって、物やら金やらを溜め込むのは
人間という生き物の性質上 仕方のない面もあるにはあるが
せっかくついている 一人ひとりの その頭を
自分のものに 取り戻そうではないか

広告の うまい言葉に乗せられず
評論家が 賢く見えるような仕組みの嘘を 見抜き
「余分」を捨てて、「ゆとり」を生み出そう
「ゆとり」も「あそび」も
「余分」が消えた場所にしか 生み出せない



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