お知らせ(10)
詩(190)
散文詩(14)
おとがたり(96)
おはなし(7)
俳句かな?(5)
みそひともじの(10)
覚書(20)
夢(17)
如月妄想録(18)
ヌーソロジーことはじめ(12)
ブログ(123)
日記(21)
猫その他(3)
未選択(0)
忍者ブログ

月夜の海、朔の森

秋映(あきばえ)

お腹がすいたから 食べる
美味しいから 食べる
あとは・・・出されたから(断れなくて)食べる

言い換えると、
美味しくなくても お腹がすいていたら 食べるし
お腹がすいてなくても 美味しいかったら 食べるし
お腹もすいていなくて、美味しいとも思わないけど、出されたものは
できるだけ(無理のない程度に) 食べる

こんな感じで、何気に食事をしてきたのだけれど
実際には
時間がきたから食べるってことも 多かった
目の前にあると なんとなく手が出るってことも あったな

いつからだろう?
よく覚えていないのだけれど
「食べる」ことの意味が 変わっていった

言葉にすれば
以前と特に変わりはない
お腹がすいたら食べるし、美味しいなって思って食べる
出されたものも 素直にいただく

何も変わっていない
だけど、違うんだな
こだわりが消えていく、薄くなっていく

食べ過ぎてたなと 思う
計算上は、多分ちょうどいいぐらいだったはず
カロリーとか、時間とか、栄養素とか、そういう意味では

体重だって、いわゆる適正体重だった

でもね、違うのよ
食べたものに対する「責任」みたいなことが
「責任」なんて言うと、ちょっと重苦しい感じがするけど
私と、私が食べたものたちとの 相互の信頼関係みたいなもののこと

彼らは私を信頼している
私の中で彼らは生きる
彼らとともに生きるつもりで 私は彼らを食したのだと

うまく言えないけれど
食べ物が そんなふうに見えるようになった

今は、体重だけで言えば 適正体重より軽いみたいだけど
平均とか適正とかは、他人のものをごちゃ混ぜにして
「足したり引いたり 掛けたり割ったりして出した数字」だから
そんなものより、自分の「すこやかさ」を感じとるほうが
よほど 大切

こんなこと、ウダウダ書いてしまったけど
本当は、昨日食べた「秋映」のことを 書くつもりだった
「秋映」というのは、濃い色の林檎で、信州が主な産地らしい
「秋映」という素敵な名前と一緒に、昨夜は林檎の秋を 満喫した


拍手[2回]

PR